御朱印
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2020.9.4【 入鹿神社 】橿原市小綱町14
飛鳥の地で蘇我入鹿が中兄皇子や中大鎌足に倒された時、その首が小綱町まで飛んできたのを祀ったことが始まりとされている『入鹿神社』
境内を囲む玉垣もなく、飾り気のない社殿がひっそりとある様は、逆臣のレッテルを貼られ、風評に耐え続けてきた歴史が偲ばれる。 |
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2020.8.8【 八咫烏神社 】宇陀市榛原高塚42
御祭神は古事記や日本書紀における神武東遷の段において、吉野山中で停滞する一行を大和へ案内し天皇の勝利に貢献した『八咫烏大神』
別名を建角身命と称し、神武天皇をお導きする際、八咫烏に化身せられたと伝えられている。 |
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2020.7.28【 西大寺 】奈良市西大寺芝町1-1-5
称徳天皇の勅願により、常騰を開基として天平神護元年に創建。
当時は広大な寺域に多数の堂塔が建ち並んで東大寺と共に繁栄していたが、数多の火災等で創建当時の建物はほとんど焼失した。
現在残っている本堂・愛染堂・四王堂は江戸時代中期に建てられた。
また叡尊が始めた『大茶盛』の寺として知られている。 |
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2020.7.17【 大和松尾寺 】大和郡山市山田町683
天武天皇の皇子舎人親王が勅命による日本書紀編纂の折、42歳の厄年であったため、日本書紀の無事完成と厄除けの願をかけて建立された日本最古の厄除け霊場で知られる。
また法隆寺の北にあることから法隆寺別院とも呼ばれ、毎年春には薔薇そして夏にはカサブランカが境内を彩る花の寺として有名。 |
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2020.7.16【 海龍王寺 】法華町寺町897
玄ムが唐より帰国の途中、東シナ海で暴風雨に襲われた際に海龍王経を唱えたところ、かろうじて奈良の都に帰ることができたことをきっかけとして遣唐使の無事を祈願する寺院となった。
そのことから現在でも、旅行・留学に赴く人々の信仰を集めている。
また寺の場所が平城宮の東北の隅に位置することから『隅寺』もしくは『角寺』と呼ばれている。 |
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2020.7.11【 信貴山朝護孫子寺 】生駒郡平群町信貴山2280-1
聖徳太子が物部守屋討伐に向かう途中の山で戦勝の祈願をすると、寅の年・寅の日・寅の刻に毘沙門天王から必勝の秘法を授かり勝利した。
太子は信ずべき貴ぶべき山として信貴山と名付け、以来信貴山の大王は寅に縁のある神として信仰されている。また、醍醐天皇の病気回復を天王に祈願すると全快されたことから、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として『朝護孫子寺』の勅号を賜ったと伝えられている。 |
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2020.7.10【 興福寺南円堂 】奈良市登大路町48
南円堂は『西国三十三所』の第9番札所として参拝が多い御堂。
藤原冬嗣が父「内麻呂」追善のために建立したとされており、基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかになっている。 |
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2020.7.1【 喜光寺 】奈良市菅原町508
奈良時代の高僧「行基菩薩」が創建し、東大寺大仏建立の布教活動の拠点とした寺。
本堂は東大寺造営の際に、大仏殿の雛型として建てられたとの伝承から『試みの大仏殿』と呼ばれる。
また6月中旬〜7月中旬には、250鉢の蓮が境内を彩る名所としても知られる。 |
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2020.1.14【 法華寺 】奈良市法華寺町882
もと藤原不比等の住居であったものを光明皇后が総国分尼寺として建立され、法華滅罪の寺と称し七堂伽藍を備えて隆盛を極めた。
光明皇后をモデルに刻んだとされる国宝の木造十一面観音立像や、護摩の灰を粘土に混ぜて形を作る文様彩色を施した愛らしい犬形のお守りでも知られる。 |
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2019.9.27【 葛城一言主神社 】葛城市太田1257
全国の一言主神社の総本社。地元の人々から何でも叶えてくれる「いちごんさん」「いちこんじさん」として親しまれている。
また神さまが鎮座される葛城山は、日本最古の修験道の霊場としても知られている。 |
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