御朱印
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2017.4.13【 正寿院 】綴喜郡宇治田原町奥山田川上149
仏師「快慶」作で重要文化財の木造不動明王坐像が鎮座する正寿院。
荘厳な雰囲気が漂う客殿の障子を開けると、ハート形の窓「猪目窓」が目に飛び込む。ハート形は古くから伝わる紋様の猪目で、釈迦が悟りを開いた菩提樹の葉が猪目の形であるため、仏教建築の装飾には多く用いられている。 |
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2016.9.9【 頂法寺「六角堂」】京都市中京区堂之前町248
淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子が、四天王寺建立の材木を求めてこの地を訪れた時、太子が池で身を清めるため念持仏を木に掛けたところ動かなくなった。
その夜『この地にとどまって衆生の救済に当たりたい』と言うお告げを聞いたため、太子はこの地に六角形の御堂を建てて念持仏を安置したと云われている。 |
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2016.6.26【 城南宮 】京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
平安京遷都に際し都の安泰と国の守護を願い、国常立尊を八千矛神と息長帯日売尊に合わせ祀り、城南大神と崇めたことが城南宮の創建と伝えられている。 |
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2016.6.21【 丹州観音寺 】福知山市観音寺1067
この地を訪れた法道仙人によって開かれたお寺。
平安時代になって空也上人が七堂伽藍を建立し、丹波地方の観音信仰の中心となり繁栄した。
また観音様の霊力で眼病が治り、再び光明を得たお礼として七色に変化する『光の花あじさい』を数本植樹されたのが紫陽花寺の始まりと伝えられ、境内に紫陽花が咲く6月中下旬は多くの人で賑わう。 |
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2016.6.19【 岩船寺 】木津川市加茂町岩船上ノ門43
聖武天皇の勅願から行基が阿弥陀堂を建てたのが始まりと伝えられ、その後、弘法大師と大師の姉の子「智泉大徳」により堂塔伽藍を建立。
最盛期は広大な境内に坊が立ち並ぶ大寺だったが、承久の変で大半が焼失している。
現在は関西の『紫陽花寺』と呼ばれ、人々から親しまれている。 |
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2016.5.5【 石清水八幡宮 】八幡市八幡高坊30(男山山上)
九州の宇佐神宮・関東の鶴岡八幡宮とともに日本三大八幡のひとつ。
社名は男山の中腹に涌き出ている霊泉「石清水」に因んだもので、全国屈指の厄除けとして名高い。
また創建以来公家と武家の信仰が篤く、とりわけ源氏が氏神と崇めたことから必勝の神社としても知られている。 |
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2016.4.24【 愛宕念仏寺 】京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5
愛宕念仏寺は奈良時代の末に聖武天皇の娘「称徳天皇」が愛宕の地に愛宕寺を創建。後に鴨川の洪水により廃寺となるが、天台宗の僧である千観が復興したと伝えられている。
寺名は常に千観が念仏を唱えていたことから、愛宕念仏寺と呼ばれるようになったと云われている。 |
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2016.4.24【 祇王寺 】京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32
平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が、清盛の心変わりにより都を追われるように去り、母と妹とともに出家入山した悲恋の尼寺として知られている。 |
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2016.4.24【 正伝永源院 】京都市東山区小松町586
正伝永源院は建仁寺の塔頭寺院の一つ。
建仁寺三十九世「無涯和尚」が創建し永源庵と称したが廃寺となったため、祇園にあった正伝院を移し永源の名を受継ぐと伝えられている。 |
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2016.4.24【 建仁寺 】京都市東山区大和大路通四条下る小松町584
建仁寺は将軍「源頼家」が寺域を寄進し、栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して創建された。
境内には俵屋宗達の風雲雷神図・海北友松の襖絵などの文化財を豊富に伝えている。 |
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