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 御朱印

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2019.3.20【 安井金昆羅宮 】京都市東山区下弁天町70
 絵馬の形をした巨石中央の亀裂を通して神様のお力が円形の穴に注がれているパワースポット。
 縁切り・縁結びにご利益があると有名で、既に良縁に結ばれた方が訪れても、幸せな男女を妨げる悪縁を絶ち切っていただけるので問題なしとされている。

2019.2.15【 八坂神社 】京都市東山区祇園町北側625
 「祇園さん」の呼び名で親しまれ、全国各地の祇園社の総本社である八坂神社。朝鮮半島にあった高句麗からの渡来人である調進副使の八坂氏の祖先とされる伊利之という人物により創建されたといわれている。
 祭神である牛頭天王が祇園精舎の守護神であるとされていたため、明治維新までは祇園社などと称されていたが、神仏分離令の発布により八坂神社と改められた。

2019.2.15【 京都ゑびす神社 】京都市東山区小松町125
 建仁寺建立にあたり鎮守として建てられた京都ゑびす神社は三大ゑびすと称され、「えべっさん」の名で親しまれている。
 ゑびす様は商売繁盛の笹をイメージするが、ゑびす信仰の象徴と言える笹は元来京都ゑびす神社独自の御札の形態が広まったもので、家運隆昌・商売繁盛の象徴となっている。

2019.2.15【 満足稲荷神社 】京都市左京区東門前町527-1
 豊臣秀吉公が伏見桃山城の守護神として勧請し崇敬された神社。
 名前の由来も秀吉公が御加護を受け、おおいに満足感を得たところから呼称したと伝えられており、「満足さん」と呼ばれ親しまれている。

2019.2.15【 平安神宮 】京都市左京区岡崎西天王町97
 千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるためと、京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるため、四海平安の祈りを込めて桓武天皇を祭神として創建された。
 また市民の懇意によって平安京有終の天皇「孝明天皇」のご神霊が合わせ祀られ、日本文化のふるさと京都のおや神様として広く崇敬を集めることとなった。

2019.2.15【 六波羅蜜寺 】京都市東山区轆轤町81-1
 六波羅蜜寺は醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された。
 また京都で流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立てて、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えて病魔を鎮められたと伝えられる。

2019.2.15【 南禅寺 】京都市左京区南禅寺福地町86-7
 臨済宗南禅寺派の大本山である南禅寺は、鎌倉後期に無関普門を開山とし、東山にある開基亀山法皇の離宮を禅寺に改めた事から始まる。
 また徳川幕府との深い関係の中で再興・興隆して現在に至っており、楼上からの眺望内に御所が見える構造は意図があるといわれている。

2018.12.5【 海住山寺 】木津川市加茂町例幣海住山20
 聖武天皇が大仏造立平安祈願のため、良弁僧正に命じて建立させ、十一面観音菩薩を安置したのが始まりと伝えられている。
 その後、寺は焼失したが、笠置寺の解脱上人貞慶がこの観音寺の廃址に移り住み、草庵をいとなみ補陀洛山海住山寺と名づけ中興された。
 国宝の五重塔は、慈心上人により建てられたもので、心柱が初層で止められている点は建築史上有名である。

2018.12.5【 現光寺 】木津川市加茂町北山ノ上9
 由緒の詳細は定かではないが、再興された時、海住山寺縁起絵巻の詞書撰者である真敬法親王が落成を賀したこと、貞慶上人の五百年忌に際して海住山寺の本堂開帳が行われた時、現光寺の住僧が参詣したことなど、海住山寺とつながりのもとに歩んできた歴史を物語っている。収蔵庫には、全国に数体しかない観音様の坐像「木造十一面観音坐像」が納められ、表現特色から鎌倉時代後期の造立と推察されている。

2018.12.3【 酬恩庵「一休寺」】京田辺市薪里ノ内102
 とんちの一休さんのお寺として知られる。
 元は妙勝寺といい、大応国師によって禅の道場として草創されたのが始まりである。その後、元弘の戦火にかかり荒廃していたものを一休禅師が再興し、師恩に報いる意味で酬恩庵と命名された。
 禅師は88歳で自寂されるまでの晩年、ここを居とされている。