御朱印
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2020.9.28【 広隆寺 】京都市右京区太秦蜂岡町36-1
広隆寺は秦河勝が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立した京都最古の寺院。
本尊は、国宝指定第一号となった国宝シリーズの切手として有名な弥勒菩薩で、右手を頬にあて微笑する姿は、何時間でも見とれてしまいそうな神秘的な美しさを持っている。 |
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2020.6.30【 水度神社 】城陽市寺田水度坂89
社伝によれば、元は現在地より東方の鴻ノ巣山から峰続きにあたる大神宮山『水度芝山』に鎮座していたと伝えられている。 |
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2019.10.17【 建勲神社 】京都市北区紫野北舟岡町49
明治天皇の御下命により創建された織田信長公をお祀りする神社で、船岡山に社地を賜り、山麓から山頂へ社殿を移建し現在に至っている。
船岡山は平安京造営の際に北の基点になったとされる小高い丘で、緑豊かな境内からは比叡山や大文字山「如意ヶ嶽」など東山三十六峰の眺望も楽しめる。 |
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2019.10.17【 黄梅院 】京都市北区紫野大徳寺町83
織田信長が初めて入洛した際、父「信秀」の追善菩提のために黄梅庵を建立したことに始まる。
本能寺の変で信長が急逝すると羽柴秀吉がこれを徐々に増築し、桃山時代の戦国大名・文化人と非常に縁の深い寺院となる。 |
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2019.10.17【 龍源院 】京都市北区紫野大徳寺町82
龍源院の方丈北庭は青苔の中に点在する石組が印象的。
方丈南庭は白砂と石組の枯山水。方丈の東には五個の石のみで構成された簡素な壷庭「東滴壷」がある。 |
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2019.10.17【 興臨院 】京都市北区紫野大徳寺町80
能登「石川県」の守護、畠山義総が創建。その法名を取って寺名を興臨院とした。畠山家の衰退と共に荒廃するが、前田利家によって屋根の葺き替えが行われ、以後、畠山家に加え前田家の菩提寺ともなる。
また昭和の小堀遠州とも言われた作庭家「中根金作」が復元した桃山風の荘厳な石組みを持つ方丈庭園や茶室「涵虚亭」が名高い。 |
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2019.10.17【 瑞峯院 】京都市北区紫野大徳寺町81
キリシタン大名として知られる大友宗麟公が菩提寺として創建。
重要文化財の本堂・唐門・表門は創建当時のもの。
庭園は独坐庭と称し、砂紋「荒海」、苔と石頭で蓬莱山の枯山水の名園として知られ、本堂裏には石組を十字架形にした閑眠庭がある。 |
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2019.10.17【 大仙院 】京都市北区紫野大徳寺町52
大徳寺の中にある塔頭寺院で大聖国師古岳宗亘が開き、数ある塔頭の中で真珠庵・龍泉庵・龍源院とともに、大徳寺四派の一つ北派の本庵として栄えた。
また庭園は枯山水の名園として広く知られ、作庭当時の姿を今に伝えている点で貴重と言われている。 |
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2019.10.17【 今宮神社 】京都市右京区花園伊町7
今宮神社は神仏に対する信仰心が強かった五代将軍「徳川綱吉」の生母桂昌院「お玉」の再建事業によるといわれている。
お玉は身分の低い西陣の八百屋の娘で、将軍「徳川家光」に見初められて側室となり大出世をした。そのお玉によって復興した神社のため、『玉の輿神社』と呼ばれるようになった説がある。 |
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2019.7.11【 三十三間堂】京都市東山区三十三間堂廻リ657
平安後期、後白河上皇が自身の職住兼備の法住寺殿と呼ばれる院御所内に、権勢を誇った平清盛の資材協力で創建されたといわれており、正式名は蓮華王院といい本堂が三十三間堂と通称される。
これは、東面して南北に延びる堂内陣の柱間が三十三あるという建築的な特徴によるもので、三十三という数は観音菩薩の変化身三十三身に基づく数を表している。
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